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May 25, 2005

marginal zone

【マージナルゾーン】 marginal zone
凸版印刷・箔押しした画線の縁に生じるくまどり。版と紙の接する画線部分の外側にインキが押し出されるために生じる現象。[-if- informaiton factory用語集より]

これは活版印刷における現象だ。このインキのはみ出しをふまえて、活字はデザインされる。
例えば、Garamondの「P」や「6」に、妙な隙間があるのはそのためで、これはDTPフォントにも引き継がれている。
p6.gif

では、写植ではマージナルゾーンは生じないのだろうか。
print-betterというサイトにこうある。
〈写植は、主に平版印刷用(オフセット印刷)に使われるためマージナルゾーンは起きないが、写植機における光学的な露光条件やフィルム製版条件などに影響される。〉

最初に、このマージナルゾーンという活版印刷上の現象を教えてくれたのは、編集者のKさんだった。
Kさんと話しているうちに、ふと思った。
「写植の製版では撮影するのだから、文字の輪郭に多少のぼけが出たり、レンズの拡大率によっては角が削られるはずだ。それは一種のマージナルゾーンではないのだろうか」
あるいは話の中で、Kさんの誘導尋問的にそういう考えに達したのかもしれなかったが、とにかくそれもマージナルゾーンと言えるかもしれない、という結論になった。
いわば、印刷の工程で自発的に曖昧な部分ができてしまうことを、マージナルゾーンが生じると言い換えられるかもしれない、ということだ。

ところが、DTPからの印刷過程ではこれが生じにくい。確かに、オンデマンド印刷などでは少々ぼけ気味に仕上がってくることも多いが、一般的な印刷ではベクトルデータそのままで、仕上がることが望ましい。
特にCTP(computer to plate)などでは、データがそのまま版になるので、マージナルゾーンが生じる隙がない。

そういった「隙」や「曖昧さ」がないからこそ、逆に制作の段階でそれらを作り出そうとする傾向は、最近のデザインではよく見られる。
広告のコピーや、書籍・雑誌のタイトルなどでも、わざと文字の角を丸めて柔らかさを表現したり、コピーを何度もとってノイズを加えたり、手間をかけ、あえてアナログ的な視覚表現にすることで、ある種の「モノ」のしての錯覚を起こさせる。
ex.〈WIRED 日本語版 design:佐藤直樹〉

これは印刷工程上で自発的に起こるのではない。ある意図をもって「マージナルゾーン(≒ノイズ)」を作ろうとしている。決してアナログ回帰ではないだろうが、二進法的デジタル行程のデザインの中で、そのような表現がまた見直されてきているということは、人間の認知・知覚には、ある「曖昧さ」が必要だと言うことかもしれない。

「曖昧さ」は、実は日本文化の特徴のひとつだと思う、という話はまた別の機会に。

投稿者 mikandesign : 05:45 AM | コメント (194) | トラックバック

May 20, 2005

mixed fonts

「混植」と呼ばれる、漢字・かな・英数字をそれぞれ別の書体で組み合わせる技法がある。
例えば、DTPで言えば
漢字:ヒラギノ明朝W3
かな:游築36ポ仮名
英数:Adobe Garamond Reguler
という風に、組み合わせの相性や、サイズを微妙に調整して、組まれたときに美しく見えるようmixされる。

主に「和欧混植」と呼ばれるように、和文と欧文で異なる書体を使うことが多い。
最初、DTP上で「和欧混植」をやっていたときは、和文フォントに含まれている英数文字の書体が美しくないからだろうな、と漠然と考えていた。どう美しいかの基準は別として、確かに欧文書体の、緻密に作られた完璧なプロポーションに比べると、無理矢理に和文書体にテイストをあわせたそれらの書体が、劣って見えるのも仕方ない。ただ、後で知ったことだが、「ジャスティフィケーション」といういわゆる箱組(コラム幅の両端を揃える)をするときに、和欧混植をすると自動ハイフネーション機能(単語間に自動にハイフンがふられ、長い単語でも途中で区切ることができる)が活きてくる、という理由もあるらしい。なんにせよ、個人的には特に新ゴの欧文書体の甘い感じは許せないので、UniversやFrutigerと組み合わせることが多い。

また、以前から「かな」だけのフォントも市販されている。たとえば、味岡がなや、先に挙げた游築36ポ仮名などもそのひとつである。他にも、朗文堂の和字シリーズのように、かな日本史とも呼べるような試みもある。
これらのかな書体との、「和漢混植」も多く使われている。この「和漢混植」によって、日本語の組版の見えは、全く変わってくる。こんなふうに。

font.gif

漢字はすべてヒラギノ明朝であるが、かな書体を変えるだけで、全く別の書体に見えなくもない。和文の、特に明朝体は、実はこんなにも表現の幅が広い。加えて和文組版の本質というのは、実はかな書体にあるのだとも言える。
漢字は言うまでもなく、かなに比べると画数が多い。複雑である。それゆえ、細かな変化が全体に見えにくい。かなは、シンプルな故、ちょっとした変化が全体に及ぼす影響が大きい。
もちろん、漢字書体にも微妙な差異による組版の見えの変化はある。それはまた別の話で書くことにして、日本が漢字から変化させて作り出した「仮名」は、1200年以上たった今でも、日本語表記、視覚的日本語の根底にあるのかもしれない。

投稿者 mikandesign : 02:48 AM | コメント (6) | トラックバック

May 16, 2005

lines 2

昨日の続きではないが、ちょっと別の角度から「線」を見てみたい。

今日本屋で
『眼の冒険−デザインの道具箱』 松田行正著 紀伊国屋書店
を購入。冒頭だけ読み進めると、早速第1章が「直線の夢」というタイトルから始まっていた。
その中で最も気になったフレーズ。
〈線は外界を模倣するのではなく、見えないものを見えるようにするのだ〉
メルロ=ポンティが、パウル・クレーの描く線について語った言葉らしい。見えているものをそのままなぞるのではなく、「見えるようにする」。

ここからは勝手な解釈だが、例えば激しい雨が降ることを表現するのに、直線を上から下に引く。そよ風を表現するために、緩やかなカーブの優しい線を引く。これらは眼に見えないものなのに、その空気を表現できる。これは誰しもがやっていることだし、漫画的表現と言われればそれまでだが、リアリティに対するひとつの「線の発明」と言えるだろう。もちろんクレーの描く線は、それ以上のものを生み出し、新しい視覚体験をつくった。要するに、単に認識の枠を超え、体験として屹立しているのだと思う。
それからこの『眼の冒険』の同じ章にはエティエンヌ=ジュール・マレーも登場するのだが、彼の実験したクロノフォトグラフィもやはり「線」である。「動き(運動)」を分析することが、ある「線」となり、そこに「時間」が見えてくる。

marey.jpg
(前に、『人間人形時代』にあったマイブリッジのクロノフォトグラフィを使って、こんなGIFアニメも作ってみたことがあった。)
marey2.gif


また、下のように
    A
─────────
    B
AとBの間に線を引くことで、AとBを分けることができる。これは、国境であったり、他者と自分であったり、こちらと向こうである。ここに「情報の単位」が発生する。
それは、クロノフォトグラフィに対して、「コマ」という単位を発生させ、シネマトグラフィへと発展していく過程でもあったのだと思う。

線を引く行為は簡単だ。だけど、それが何の線なのか、どういう意図があるのか、何を分け、何を生み出すのかを考えると、一本の線を引くことに、少しでもためらいを持つこともまた、必要かもしれない。

投稿者 mikandesign : 11:56 PM | コメント (8) | トラックバック

May 15, 2005

lines

昨日今日仕事している中で、ふと気になった「線」。
いわゆる「罫線」だ。(株式のチャートではない)

最初、活版印刷ではある程度決められた太さなり、種類であったと思う。
もちろん、フリーハンドの線が印刷できない訳ではなく、活字を組んで版面を作るという印刷の性格上、活字に罫線が含まれている方が効率が良く、美しい版面を設計できるのだろう。
例えばオモテケイ(細い罫線)、ウラケイ(太い罫線)という言葉は現在でも使われるが、もともと活字のボディの表側が細く、裏側が太くなっていて、これをひっくり返しながら使用していたことに由来する。
嘉瑞工房:活字について
他にも点ケイ、飾りケイ、子持ちケイ、など、活字の長い歴史の中で工夫がなされ、様々な需要に対応していったことは伺えるが、やはり印刷所のもっている活字の種類などによって、デザイン指定上の制約があったことは否めないだろう。

写植組版でも同様に、写植盤の種類によってある制約が生まれるのだろうが、
活版印刷とは違い、版下という印刷原稿をつくり、製版カメラで撮影できれば良いので、手描きで罫線を引く、ということができたはずである。
そうすると、フリーハンドであえて緩さをねらった罫線などももちろん可能となってくる。
ところが、当時のデザイナーは0.1mm以下の罫線を、ロットリングなどで引く訓練をしていたという話をよく耳にする。ようするに、機械的に正確でゆがみのない罫線が求められていたということである。これは活版印刷の影響そのままなのだろうか。

現在、DTPアプリケーションでは、ツールによってかなり簡単・正確に罫線を作成でき、また太さも自由自在にできる。そればかりではなく、フリーハンドの罫線も簡単に作成することができるように思える。しかし、デジタルならではの制約があり、[スキャン]→[画像調整・変換]→[貼込]と、版下作成に比べるとかなりの手間があることも事実である。

webではどうだろうか。
かつて、web上での罫線や、テキストベースでの罫線の種類を、テキストエディタ上でストックしていったことがあった。
ーーーーーーーーーー
==========
…………………………
−・ー・−・ー・ー・
など、単にテキストの種類、その組み合わせだけでも様々な罫線を作り出すことができるのである。これらはよく、ASCIアートやメールの署名などに使われている。
フリーハンドの線であれば、DTPの行程と同じようにして画像として配置することはある程度可能だ。そのようにしてデザインしたのが「少年文芸」という雑誌のプロモーションサイトである。

基本的に「罫線」は、直線的、硬質的なものの方が美しく、わかりやすいと思われているようだ。しかし、編集者Kさん曰く、丸ドットの罫線のように、図像に近いというか、そのように扱われるものもある。
要するに、「文字」「活字」としての罫線なのか、「図像」としての罫線なのかの境界が存在するのではないだろうか、という気づきだった。その二つがどう違うのかは、また後日考察。

投稿者 mikandesign : 03:40 PM | コメント (226) | トラックバック

May 14, 2005

well…

ブログ、毎日続けるのはなかなか難しい…。
友達には毎日2,3回更新しているマメなやつもいる。
そもそも、レンタルブログではなく、自分のサーバに入れたのは、
公開やコミュニティ化が目的ではなく、自分の考えてることをまとめることが目的で、
ふだんなかなか言葉にすることのないものを、「言挙げ」していこうと思っていた訳で。

これからはもう少し内容は固く、多少支離滅裂になりながらも綴って行く次第です。

投稿者 mikandesign : 09:34 PM | コメント (263) | トラックバック

May 11, 2005

lighting

今日は仕事の打ち合わせのため、溜池山王へ。
30分も早くついたため、コーヒー飲みながら、タバコを吸おうと、タリーズへ向かう。
スタバは素通り。
喫煙者の自分にとって、スタバはあってないような店なのである。
タリーズに行くまでに、ベローチェ、クリエ、ドトールなど、
カフェチェーンがひしめき合っている。
やっぱりオフィス街だなあ。エクセルシオールも発見。

頼むのはいつもモカ。トールサイズ。380円。
12月から3月まで、某K大学に仕事で通っていたときは、毎日のように行って、毎日同じものを頼んでいた。飽きもせず。
上に書いたところも大方行ったことはあるけれど、(スタバはあまりない)
タリーズが一番落ち着く。
恐らくそれは照明の暗さなのだろう。明るすぎない店内が居心地良くさせてくれる。

そういえばこんな本があった。『夜は暗くてはいけないか』 乾 正雄著 朝日新聞社
〈「明るい」ことはよいことか?より人間らしい思考・生活のできる明るさ、暗さとは?日本と北ヨーロッパの芸術作品や現存する建築物の比較、ビルと照明の歴史などを通して提唱する暗さの再評価論。〉──amzonのレビューより

投稿者 mikandesign : 08:30 PM | コメント (64)

May 10, 2005

about my work

仕事がたくさんある…。
フリーランスの僕にとっては非常にありがたいことだけど、
どうしてなかなか、時間と集中力のせめぎ合い。
生活=仕事、の生活。鶏と卵。
今日もひとつお話を頂いたが、昨今の事情により、お断りせざるを得なかった。
すみません。

自分で整理する意味を込めて、列挙。
今現在抱えてる仕事。
●websiteデザイン(というかデザインが終わっているので、ひたすらページ作成と修正。)
●機関誌(早く手をつけねば)
●ムック(もう次が始まる)
●雑誌のダイアグラム(早く案を練らねば)
●チラシ(今週末入稿か……)
●イベントの展示用パネル、その他ツール
など様々。うわー、結構あるな。
一番大変なのはメディアによって頭を切り替えなきゃならんこと。
パソコン上ではアプリを切り替えるという行為だけど、
どうやら脳のシステムとパソコンのシステムは違うらしく、簡単には行かない。フゥ
まあ、仕事があることに感謝して、がんばりどころ。

作るメディアによって、ある程度使うアプリは決まってくる。
例えば、webはDreamWeaver、チラシ・展示物はillustrator、ページ物はInDesignて言う具合に。
必ずしも、そのアプリで作る必要はないんだけど、道具だからなあ。
タバコに火をつけるときに、手元にライターがあるのに、ガステーブル使う人はいないだろうし。
ただ、このへんの道具の変化=プロセスの変化にも、なにかヒントはあるかもな。

そういえば、こないだデザインした書籍が出てた。
憲法千一夜
中山太郎著 中央公論新社
kenpo.jpg
中山太郎という議員さんの本です。

投稿者 mikandesign : 09:28 PM | コメント (2) | トラックバック

May 09, 2005

W21CA

keitai.jpg

W21CA。
今更ながらこれ欲しい。
フルブラウザ搭載ということと、ワイド液晶ということにものすごく惹かれる。色がブラウンというのもいい。

とは言うものの、ブラウザも独自のもので、「ブラウザ」という表記はなく「PCサイトビューアー」だし、パケ代はいいとしても、どういう形式のサイトが見れないのかが不明。Opera搭載ならすぐ買うんだが。

まだ値段もちょい高い。
今持ってるW21Sを買ったときと同じぐらいか。

と、書いてるうちに欲しさが少し薄れてきた。もう少し調べよ。

詳しいレビューサイト発見。
一応、OperaのBREW版なのか。
なに〜、サイト閲覧のパケ代は定額の対象にならない?!
うーん…。

投稿者 mikandesign : 07:41 PM | コメント (2)

このblog

早速下が崩れました。揃わん。なんで?
まあいずれ修正することにします。

背景と同色にすることで、とりあえずごまかす。

投稿者 mikandesign : 01:37 AM | コメント (1)

May 08, 2005

今日の晩ご飯

今日は頼子が大阪から夜に帰ってきたので、
晩飯は近くの「佐ん吉」へ。
sankichi.jpg
いつもながら「ほっとする」味です。
●つくね焼
●ゴーヤの白和え
●五色納豆
●鮭ハラス焼
●海鮮小丼

投稿者 mikandesign : 09:31 PM | コメント (1)

Start

とりあえず始めてみます。
これまで何度もチャレンジしてますが、余り続かず。
今回やっと自分のサーバにMTをインストールしたので、
とりあえず続けることを目標に。

投稿者 mikandesign : 05:59 PM | コメント (0)