January 29, 2007
やって来る
●やっぱり「やって来る」らしいっすよ。
●土曜は松岡正剛のイベント「連塾2」にスタッフとして参加。
●とは言っても、事前のグラフィック系作り物なんで、当日はお手伝い的。
●ポスターが思いのほか評判がよくて嬉しかった。田中泯さんも一枚欲しい、と言ってくれたらしい。
●それはおいといて。
●田中泯さんが話の中で、「踊りは内面を出す、というものではなく、身体の外側にあるもんだ、外からやってくるんだ」との土方巽の言葉を引用していた。
●高橋睦郎さんも「詩は向こう側にあるんです。向こうからやってくるんです。そのためにこっちは器を用意しておかなきゃいけないし、磨いておかなきゃいけない」と言っていた。
●やっぱりそうなんだなあ。
●いや、前回書いたのはコンテンツがやって来る、ってことで、デザインそのものがやって来るってことじゃないんだけど。
●そもそも、それを分けてしまったのがよくなかったかもな。
●デザインだってそこに表されているモノのコンテンツの一つだし、見る人と内容の関係そのものがデザインであるはずだ。
●まあ、とにかく「器」を、「型」を持っておく、作っておくのが一つ大事なことだと実感したわけです。
●磨いておかなきゃな。
投稿者 mikandesign : 01:56 AM | コメント (0)
January 24, 2007
器としてのデザイン
●コンテンツが先にあって、それを(視覚的に)明らかにする、伝えるのがデザインなのであれば、やはりコンテンツに合わせたデザインをするべきだろうか?
●そうなると、例えばビジネス、ファッション、思想、美術、など色々な分野に合わせて自分のテイストを変えていかなければならない。
●それとも、個人で、あるデザインテイストなりを持っていて、そこに当てはまるようなコンテンツがやってくるものだろうか?
●もしくは内容に関わらず、そのテイストを当てはめることができるだろうか?
●おそらくはそのどちらでもなく、ある何点かの軸は固定し、ある何点かは変えていくというような、個性と流動性を兼ね備えた方法を持っていなければならないのかもしれない。
●その方法こそが「テイスト」なんだろうか?
●なんにせよ、デザインは、デザイナーは「器」だ。
●そこにどんな料理(コンテンツ)が盛られてこようと、器としての形(型)は崩すことなく、その料理に合わせて、美しく機能的に配膳(レイアウト等)されるべきだ。
●要するに「型」なんだな。
●「型」があること、「型」を持つこと自体が方法なんだろう。
●じゃあその「型(器)」は幾つ用意しておく?
●だれが料理を盛る?
●配膳の仕方はどう変える?
●一つ言えるのは、かつて利休や織部が「利休好み」「織部好み」として茶道具なんかを目利きし、デザインのプロデュースしていったように、「器」は「好み」でいいんじゃないか。
●もちろんその「好み」が天下に通じなきゃ意味ないけど。
投稿者 mikandesign : 02:29 AM | コメント (1)
January 20, 2007
ウチとソト
●仕事が忙しくなってくると、ほんとに書かなくなってしまう…。
●最近自宅の近所で兄妹間のバラバラ殺人が、事務所の近所で夫婦間のバラバラ殺人があった。
●もちろん陰惨で考えさせられる事件だけど、ここで言いたいのはそういうことじゃない。
●こういう話を他人にするときはよく、「うちの近所でさあ…」と始めることが多い。
●ふと思ったのだけど、この「ウチ」ってなんだろう。
●いや、この場合は「家」って意味だけど、「うちら」とか「うちの近所」とかって、どこからどこまでが「ウチ」なのか。
●この事件の現場もそんなに離れておらず、実際歩いて30分、僕はそれを通っている。
●事件が片方のみで起こった場合でも、僕は「うちの近所」と言うのだろうか?
●家庭内、町内、区内、市内、県内、色々な範囲の「ウチ」がある。
●エドワード・ホールの言う、文化的距離感覚によってそれは定義されているのかもしれないけど、それにしても曖昧だ。
●もうひとつ言えることは、「ソト」を作ったことによって、「ウチ」が生まれたかもしれない、ということだ。
●外側のシンボルを設け境界をひくことで、内側になる。
●西洋だと、それは「悪」だったり、キリスト教からみたイスラム教だったりするわけで、二元化されて完全に排除の対象だったようだ。
●自分以外、自分たち以外があることではじめて、自分がある、とも言える。
●だからやっぱり「ソト」は排除すべきじゃない。
●折口信夫の「マレビト」のように、定期的に歓迎しなくては、「ウチ」の存在はどんどん薄いものになっていくんだろうな。
●そうそう、日本は「ソト」を受け入れるんだよな。喜んで。そんなところがある気がする。
●全く自分とは関係のないもの、と思っているものが、違う次元に引き上げてくれるのかも。
投稿者 mikandesign : 12:50 AM | コメント (0)
January 11, 2007
イメージ
●結局、対峙するのはイメージなんだよな。
●こちらのイメージと、相手のイメージ。
●それをいかに言葉にして、何かに仮託して、ある程度形にして、いかに相手に伝えられるか、いかに納得させるか。
●どこで折り合いをつけるのか。
●心のうちにぼんやりあるモノを伝えるのは難しいし、色んな手段を講じなければならない。
●だけど、そんなイメージも、どこかで見たり聞いたりしたモノの複合だろう。
●「自分」のイメージも「どこかの何かが色々に絡み合った」イメージでしかないのかもしれない。
●それを再現するのか、表現するのか。
投稿者 mikandesign : 01:09 AM | コメント (0)
January 10, 2007
17歳のための世界と日本の見方
●年末に出版された、松岡正剛の『17歳のための世界と日本の見方』が結構売れているらしく、嬉しい。
●すでに3刷りが決まったらしい。
●装丁やらを担当したけど、これまでにない松岡像を打ち出すってのが、それなりに苦労した。
●内容も女子大生向けの講義録集なので、すごくわかりやすい。やっぱり内容が表面に出る装丁が、意味と表現が実は一緒だという仮説の、一つの現れなんだろうな。
●それなりにライトな作りに還元したつもりではある。
●自分のデザインした本がどのくらい売れているかってのは、正直気になる。
●直接自分の売り上げには関係ないのだけど…。
●その話は、またそのうち。
●本当に面白い本です。
●ここで言う「17歳のために」ってのは、17歳向けというよりは、17歳の時に読んでおけよってことです。
●本当は今の僕らぐらいが読むのが一番面白くは感じる。
●何が面白いのかって、人間の意識の発生から、東洋・西洋の文明や文化が、宗教や物語とともに、どのように発達し、どこで出会い、そして現代にもどんな問題を残しているのか、ということが、さらっと読めるのだ。
●ある種のインデックスとしても非常に有益だと思う。どこからでも事柄に突っ込める。
●興味ある方、買ってみて下さい。
投稿者 mikandesign : 01:30 AM | コメント (3)
January 08, 2007
ジレンマ[dilemma] 其の壱
●エディトリアルデザインで、鶏と卵のような問題があると思う。
●テキストが先かデザインが先か。
●個人的にはテキストを読んで内容を把握してから、その意味なり構造なりをデザインにしたいと思っているのだけれど、特に依頼原稿の多い雑誌なんかではそうはいかない。先割(先に文字数をデザインで決めてしまう)を求められることが多い。
●一件デザイン優先で、デザイナーにとっては良さそうに思えるが、流し込みを印刷所でやってもらう場合も多く、なかには目も当てられないような組み方があがってくる事もある…。
●おまけに先割の文字数以上で原稿が来ることも多々ある…。
●逆に、テキストが既にあり、内容も把握できる場合でも、明らかに誌面に入らない場合もある…。
●それを無理矢理押し込むと、想定していたデザインが崩れてしまう。
●その時点で無理に文字数を減らしてしまうのも、ライターに申し訳ないし…。
●もちろんそこが腕の見せ所なんだけど。
●書かれているテキストとそのデザインって、実は一緒のものであるはずだし、メディアになった時には、読み手にはそこが分かれているとは思われない。
●でも作る過程では、別のモノになってるんだよな。
●一番良いのは、ライターがデザインもし、デザイナーがテキストも書けることか。
●僕には無理そうですが…。いずれ…。
●ともかく、その間をつなぐ編集者って、一番大事な存在だし、一番大変だとは思います。
●要するに編集的なデザインってのが必要なんでしょうね。
投稿者 mikandesign : 10:03 AM | コメント (1)
January 07, 2007
書誌棚-booklog
●MIKAN-DESIGNのサイトもいずれCMS化するかもしれない。
●こういった形でガチガチにフォーマットを決めてしまっている場合は、そのほうが良いだろうな。
●そうなればもっと頻繁に更新できます。
●ところで、以前からbooklog(ブクログ)というサイトがある。結構有名なので、ご存知の方が多いと思います。
●Amazonから情報を引っ張れて、書誌棚を作れます。
●本当は、読んだ本、家にある本の備忘録などとして使うのが普通なのだろうけど、こんな使い方をしてみました。
●mikan-designの本棚
●そうです。僭越ながら、自分の装丁・デザインしたの本のライブラリーです…。
●こういう使い方をすれば、自分のサイトのbookカテゴリをある程度こっちで簡単にカバーできる。
●ただ、デジタル書誌棚としては、Delicious Libraryの方が優れている。
●OSXのソフトウェアだけど、なにがすごいって、iSightなんかのカメラに本のバーコードをかざすだけで、自動でAmazonから情報を取ってきて、登録できるんです!
●ちょっと感動ものでした。
●ただ古書ってどうなるんだろう? やっぱり手入力?
●ブクログにしろ、Delicious Libraryにしろ、本の判型は無視され、すべて同じ大きさってのはちょっと気になる…。
●まあ、この場合は本の画像の方がおまけみたいなもんか。
投稿者 mikandesign : 12:49 PM | コメント (0)
January 06, 2007
高丘親王航海記
●正月の実家の行き帰りには、澁澤龍彦の『高丘親王航海記』を読んでいた。
●次のアート・トップで澁澤特集をするから、家にあったのを引っ張りだして読んでみた。
●なんでこれ買ったんだろ?
●遺作になったものらしいが、それは出来すぎだ。
●平城天皇の息子だったが、薬子の変でその地位を追われ、空海の弟子となった高丘親王が、67歳の時に唐から天竺を目指す、という物語。
●その途中でいろいろな奇妙なモノに出会う親王。夢や、夢の中の夢へも行きつ戻りつ。
●結局天竺へ向かうというのは、向こう側へ、「死」へ向かうということと重なっている。親王が澁澤龍彦自身なら、それが遺作だったということが、澁澤をより伝説足らしめている。だから出来すぎている。
●もっとも、澁澤自身病床で書いたものらしいから、やはり自分の死をイメージしながらの事だったとは思う。親王と自分を重ねながら、死期を悟りながら…。
●だとすると、澁澤は天竺へ、向こう側へ行きたかったのか? それとも行かざるを得ないことを感じていたのか? 少なくとも小説の中では後者だと思える。
●何冊かは読んだものの、「澁澤龍彦」自体はよくわからない。次の特集で多少全体像が見えるのかな。
●しかし、この小説をダイアグラムにしたら面白いだろうな。
●時間と場所に出来事や人物、台詞をプロットしつつ、さらに現実か夢か、はたまた夢の中で見ている夢かという親王の認識で切っていくといい。
●図式化するには、軸が二つ以上必要だと思う。時間があったらやってみよう。
●でもその軸が曖昧だからこそ、幻想的な雰囲気があるのだ。
投稿者 mikandesign : 02:03 AM | コメント (1)
January 05, 2007
箇条書き
●何人かの友人の真似をして、箇条書きで再開してみる。
●会話をしていると、話がぶっ飛ぶことがよくある。自分の頭の中では変な変換があって、何となく話は続いているのだが、発言すると前後の会話と脈絡がない。
●そういったアタマの構造や考え方を文にするとき、この箇条書きが最適じゃないかと思った。書きやすいし、続けられるかもしれない…。
●メモ代わりにも最適。
●箇条書きは文章構成上良くないと、何かで聞いたか読んだことがあったが、どうしてだっただろうか? 誰か知ってる人教えてください。
●まず、この箇条書きの頭にくる記号・約物を何にするか迷った。なるべく黒味が多いほうが目につきやすい。PCの文字コードは種類が少なく、winでもmacでもとなれば、「●」「■」「◆」「▲」「▼」ぐらいだろうか。個人的には蛇の目がいいのだけど、メールを送る際にもよく使う、「●」にしておくことにする。
●もちろん、内容によって記号を変えるのもありだけど、それは気が向いた時に。
●ここまで書いてみて、無味乾燥な気もするけど、とりあえず、少し続けてみます。
●タイトル付けるって難しいですね。